Muiのコーヒーの飲める店

【卸先めぐり】第3回『bistro-confl.』倉田俊輔 ー前編ー

「卸先めぐり」の3軒目は、東急田園都市線駒沢駅から歩いて3分ほどの距離に位置するフランス料理店『bistro-confl.(ビストロ コンフル)』。

 

 

田園都市線を降りて地上に出てすぐ、246と自由通りの交差点を北に上がり右折し、住宅街に入ったところにあり、一緒に連れて行く人にスムーズに道案内が出来るとなんだか“通”のような顔をしてしまうようなお店です。

 

元住吉から行くのに、田園調布駅か自由が丘駅からバス(渋谷11系統)でゆったり町並みを見ながら向かうのもおすすめ。

 

今回は、カジュアルな価格で本格的なフレンチが楽しめると絶大な支持を得る『bistro-confl.』のオーナーであり、サービスマンである倉田俊輔(くらたしゅんすけ)さんに、これまでの生い立ちとお店についてお話を伺いました。
一見コワモテな倉田さんですが、話してみると軽快な笑顔‥そして会話のキレの良さが印象的です。

 

THE昭和小学男子、都会ですくすくと育つ

ガンダムやプラモデル、ビックリマン‥と昭和を代表する小学男子カルチャーにのめり込んでいたという倉田少年は、池袋生まれ池袋育ち。

 

近所の酒屋や路地から自力で集めてきた日本酒の“酒ぶた集め”に情熱を燃やしていたりと、少しの(?)収集癖を持っていた彼ですが、習い事の剣道にも打ち込んでいるスポーツ少年でもありました。

 

 

1年生から卒業までの6年間、剣道を続け、中学校にあがると一世を風靡した「スラムダンク」に感化されてバスケットボール部に入部。杉並区の中高一貫校への進学だったので、高校生まで熱心に部活に打ち込み
——と思いきや「途中から、遊びに走ってしまって。」と、ここから時代感溢れるダイナミックな道筋が拓けていくのです。

気になったらとことん追求、何かとマニアな学生時代

90年代の渋谷と言えば、コギャルのルーズソックス、ポケベル、チーマー、アメカジ…。
池袋は渋谷から少々離れてはいますが、倉田さんも時代の波を乗り回していたよう。

 

中2でボブ・マーリーを聴いてからタワレコやHMV、マンハッタンレコードで手に入れた洋楽を聴きまくり、70年代のファンク・ソウル音楽にまで遡ったりと、コアな音楽にも精通。高校時代の主な遊び場は高円寺で朝まで麻雀を打ち、バイク2ケツで湘南の方までツーリングに行ったりもしたとのこと。

 

もちろん洋服も好きで、当時日本に入ってきたアニエス・ベーやポール・スミスの“キレカジ”や、古着でヴィンテージのジーパンを漁ったり、学生服の時は、「腰履き+リングベルト+ハルタのローファー+彼女と交換したスクールバック又はグレゴリーのリュックサック」みたいなファッションで公園にたむろしていたり…

とインタビューの冒頭から時代を象徴する固有名詞がどんどん出てくるので、まるでカルチャー史の講義を受けているよう。気になったらとことん突き詰めていく性格は小学校の頃から変わらず、むしろ加速しているようにも思えます。

レストランに魅了され、カルチャーの舞台となる飲食業に

そんな都市的文化の渦中で中・高生時代を過ごした倉田さんは、卒業後は明治学院大学に進学。

 

当時のファッション誌からそのまま出てきそうな経歴で、(超イケイケでやんちゃじゃないですか‥)と思ってここまでの話しを聞いていたのですが、入学して間もなく大学に行かなくなってしまいます。

 

当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった株式会社グローバルダイニングが展開する渋谷の『モンスーンカフェ』に魅了され、アルバイトで働き始めたのですが、店内もかっこいい、働いてる人もみんなかっこいい、と強烈に感化され、大学2年になる頃には両親に頭を下げて退学し、そのまま就職を果たします。

 

 

平日も休日も関係なく常に多くの人が並んで賑わい、芸能人も御用達というレストランをいくつも経営する時代の寵児とも言える会社の一員として、激動の日々が始まります。

激動の現場で、唯一無二の反射神経を身につける

20歳の頃には三宿交差点のメキシコ料理店『ZEST CANTINA』や、六本木のイタリア料理店『Cafe La Bohéme』で働きますが、三宿も六本木も夜が更けてからが本番で、とにかく酒が出る出る。

 

0時を回った頃に来たおそらく業界人であろう4人のグループが、帰る時には20人くらいになっているというようなことも度々発生するほど深夜であろうが人がじゃんじゃん集まります。

 

朝5時半にラストオーダーを聞いて回る時には、「あ、じゃあとりあえずピッチャー」という答えが帰ってくるのもザラだそうで、とにかくみんなガンガン飲む。自分もそれが楽しくて、呼応するようにバンバン酒を出していたということなのですが、このコミュニケーションで鍵となるのは「気持ち良さ」。
いかに的確にお客さんが求めていることを読み取り、阿吽の呼吸でテンポよくサービスをしていくかという基礎体力が、もはや反射神経の域で叩き込まれたと言います。

 

 

当時の六本木の深夜ですから、お客さんも主にはクラブやキャバクラ帰りのキャラ濃いめの面々。20席ほどの店内とはいえ、それを3人で回していたというので驚愕です。

 

カジュアルな価格のお店だったので店内はクラブの楽屋のような雰囲気。時には「寿司が食べたい。」という無茶なオーダーに答えて材料を調達してきたりと、聞いているだけでも目が回りそうな現場。

 

話を聞いていると、表参道の店『Café La Bohéme』に勤務していた頃はBLUE NOTEのスタッフがご飯を食べに来たりして仲良くしてもらったというようなエピソードなども出てきたりと、いちいちかっこいい。20代序盤からそんな環境下で店の経営を任されていたのですから、当初から末恐ろしい青年だと思われていたのではないでしょうか‥。

気が効く、と言わせる観察力は経験からしか生まれない

例えば、身につけている物や服装を見て、おすすめするワインの価格をチョイスすること。常連のお客さんでも、男女6人で来店した合コンの時と、本命っぽい女の子を連れて2人で来店した時とで、「いつもの」と言われて出すワインのグレードを変えること。

 

 

豪快に飲んでいった団体客には気持ちよく支払えるよう、キリのいい数字で会計伝票を差し出すこと。
確かに、ここまでの機転の幅は20代頃の華やかな夜の街でのサービス経験があってこそ。シチュエーションや相手に合わせ、暗黙の了解で勘定を合わせていくサービススキルは、確実に今に繋がっています。

 

後編を読む

 

取材・文・写真
もとすみマニアックず。 山川みずき

『bistro-confl.(ビストロ コンフル)』
住所:東京都世田谷区上馬4-3-15
03-3419-7233
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